それは、突然現れた・・・!!
タイトルからすると何のこっちゃという感じですが・・・、
私が祖母の死をきっかけとして感じたあの「感覚」を、
あの村上春樹さんも体感したことがあるらしい!!!
!!!
実は、今読んでいる村上春樹さんの「職業としての小説家」の中で、
その「感覚」を村上さんはすごーく分かりやすく表現されていて、
読み進めれば読み進めるほど、これは私があの時に感じた感覚のことだ!!と思わざるを得ず、また、タイミング的にもドツボだったため、ただいま一人で興奮している最中ですw
ここで少し村上さんの表現をご紹介しますね!
まだ村上さんが小説家になる前のこと。
神宮球場に野球を見に行っていたそうです。
ここから抜粋。
そのときの感覚を、僕はまだはっきりと覚えています。それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした。
しかし理由はともあれ、とにかくそれが起こったのです。それは、なんといえばいいのか、ひとつの啓示のような出来事でした。英語にエピファニー(epiphany)という言葉があります。日本語に訳せば「本質の突然の顕現」「直感的な真実把握」というようなむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じです。それがまさに、その日の午後に、僕の身に起こったことでした。それを境に僕の人生の様相はがらりと変わってしまったのです。デイブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い二塁打を打ったその瞬間に。
「小説を書く」意味について考えるとき、いつもそれらの感触を思い起こすことになります。僕にとってそのような記憶が意味するのは、自分の中にあるはずの何かを信じることであり、それが育むであろう可能性を夢見ることでもあります。そういう感触が自分の内に未だにあるというのは、本当に素晴らしいことです。
僕が長い歳月にわたっていちばん大事にしてきたのは(そして今でもいちばん大事にしているのは)、「自分は何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたのだ」という率直な認識です。そして僕はなんとかそのチャンスをつかまえ、また少なからぬ幸運にも恵まれ、こうして小説家になることができました。あくまで結果的にではありますが、僕にはそういう「資格」が、誰からはわからないけれど、与えられたわけであります。僕としてのそのようなものごとの有り様に、ただ素直に感謝したい。そして自分に与えられた資格をーちょうど傷ついた鳩を守るようにー大事に守り、今でもまだ小説を書き続けていられることをとりあえず喜びたい。
抜粋終わり。
「Epiphany」とっても素敵な言葉ですね〜!
「Serendipity」(素敵な偶然に出会うこと)に次いで好きな言葉となりそうです✨
私自身は、まだまだまだまだ、これからが始まりです。
村上春樹さんのように、生涯を通して守っていく「資格」を大事に育んでいき、それが他の方に良い影響を与えることができたらこの上ない幸せだなと思います☘️
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